しまくとぅば と 辺野古 と ゆーもーやー

「正しくないうちなーぐちだから
あんまり使わない方がいいよ、逆に失礼」
とか、うちなーんちゅの若い子に
一喝して良い気分になってる
40代〜60代の人たちいるけどさ、
誰が私たち世代に「うちなーぐち」を
話さなかった結果、こうなってる。
とかは考えたりしないんだろうか。

そういう人に限って
「あんたたち世代は、うちなーぐち、わからんでしょw」
とかにやにやして言ってくるし

たぶんだけど、
自分たちが「正しい日本語を話しましょう」と
言われて育ってきたんだろうな〜と

そして、そういうことを言う人って
首里のあの芝居言葉がうちなーぐちだと思ってたりして。

なんで「正しくないうちなーぐち」ばかりが若い子に残ってると思う?

正直、彼女のことを「わんのいなぐが〜」とか
言う若い男の子たちには、「は?」
って思うけど、田舎の子だけじゃなくて、
那覇の子がやけに言ってたりする。

彼らは、それぐらいしかわかんないかもしれないし
だけど、それって、必死なんじゃないか。
うちなーぐちだと思って、
うちなーんちゅとして、
うちなーぐち」を話そうと必死なんじゃないか。


それこそ「わんのいなぐが〜」は気持ち悪いけど
私たち世代に「うちなーぐち」を禁じたのは
「正しい日本語を話しなさい」と強要された人たち。

私たち世代にうちなーぐちを継承しなかったくせに
うちなーぐちネイティブ世代に私たちがうちなーぐち
こたえようとすると
「正しくないうちなーぐちだから、使わない方が良いよ」
と一喝する。
そのくせ、本土から移住してきた人たちの
気持ち悪いイントネーションの「正しくないうちなーぐち」に対してはとても寛容で、あれ?
これはどこかで感じたことがあるぞ???
そうだ。辺野古
今から10年以上前
辺野古にたびたび行っては、カヌー乗ったりしていた時期
「ここには沖縄の若い子たちは来ない」
とよく嘆かれた。
目の前に、「私」(沖縄の若い子)がいるのに。
それはまるで
うちなーぐちを使ってみては
「正しくないから使わない方がいい」と言われているのと一緒で
この人たちに「私」は見えていない。

辺野古に行くたび、これを言われ
最近では
最近辺野古を知ったという本土からの移住者のヘイワカツドウカの若い人に
「沖縄の若い子は、なんで辺野古に来ないんだと思う?」
と訊かれる始末。
「私」たちは10年前から辺野古に通っているが
もう若くもなくなったからか、
「若い人」は「辺野古に来ていない」んだという。

私は、毎度される同じ質問にイヤ気がさし、
辺野古に行かなくなった。
ここ4年くらい、行ってない。
友達を連れて行くのもやめた。


若い子に
「しまくとぅば」を「話させない」のは誰か。

糸満の言葉を話すと
「それは正しくないうちなーぐちだから
(目上の人に)話さない方がいいよ」
という50代。
そこへ
「あい、あなたは糸満の人ね〜?」
と92歳の助け船。
「そうです」
「私の妹の旦那さんが糸満の人だから、すぐわかったよー」
かっかっかっ!と笑う助け船。
にふぇーでーびる。ぼでぃーびる。


80代90代のネイティブスピーカーの人は
私たちの「失礼なうちなーぐち」に対して
「正しくないから使うな」とは決して言わない。
いつも、話すと笑ってくれる。
それは本土の人たちのうちなーぐちに対しても、だ。
私たちは「気持ち悪い」と感じてしまう。
私たちは「正しくないから使わない方がいい」と
言われて育ったから。気持ち悪いうちなーぐち
「気持ち悪い。失礼だ」と感じてしまうから。
だけど
ネイティブは違う。
攻撃性など一ミリもなく
「しまくとぅば、わかいん?」ときいてくれる。
そして日本語で「ありがとうね〜」と言ってくれる。



辺野古でもそうだった。
私たちがちょろちょろしても
おじーおばーたちは
「あい、糸満から?遠ぅさんやー」と言って
笑っていた。



私は今、仕事で公民館を回っているが
私の「ちゃんと習ったことのない」カチャーシー
とても喜んでくれる。
「上手さ〜」「さすが糸満!」
「もーいそーたんなー?」
最初は
「いえいえ、、自己流です。。。」
と途中でやめていた(遠慮していた)が
いつしか
「ゆーもーやー」というあだ名がつき
いつも
「はい、もーれー」と
呼ばれるようになった。
私は
感じたままのカチャーシーを踊り
拍手喝采を受ける。
そして、70代の方に
「私は苦手でね、あんた、教えて。
センセーなって」
と言われるようになった。


それでも、その光景を初めて見る
公民館1回目の60代の「踊りを習っていた風」の方に
しつこく「足の動きがへん」と言われた。
私はその時、「踊りとか、習ったことないので、、」
「自己流なので、、、」
と申し訳なさそうにし、踊るのをやめた。
そして、次からそこで踊るのをやめた。
その人はその1回きりしか、公民館に来ていない。


私は踊るのをやめたが、
他の公民館では相変わらず、
「ゆーもーやー、踊って!」
と要望を受け、みんなが喜んでくれるので
カチャーシーを踊り続けている。



なんの話だったか
もう戻せなくなっちゃったけど


何をしても言う人は言うし
それを言う人は一生懸命やっていない人の
一言だったり、もしくは
かつて自分が言われていたことで
克服したことだから
言ってしまうのかもなぁ。。と思ったのであります。


私も「やったらダメ!」
「正しくないことをやるのは恥ずかしい!」
とたたき込まれた人間なので
なかなか気が小さいけれど
やりたいことは続けていこうと思うし
やりたいことにどんどんチャレンジしていこうと
思っている今日この頃です。

正しいか正しくないか
ではなくて、
全部正しい。のよね。きっと。