そのポジティブは本当か?

ポジティブになるための、なる前の
ちょっとしたネガティブは
「思考」なのでは???

 

何でもかんでも
「すぐネガティブになる〜」
とかは、ちょっと違う気がする。

 

何も考えないことが
ポジティブではない。

 

考えて、試して、結果見て、
また考えて、トライする。

 

この行動が
「ポジティブ」なのであって、

「考えている過程」は
決してネガティブではない。

 

ポジティブだからこそ、
キチンと客観的に、考える。

 

考えない人は
ネガティブでもないが
決して、ポジティブでもない。

 

考えない人は
ただの
「何にも考えてない人」であり
「行動しない人」だ。

 

それが良いのか悪いのか。
そういう問題でもない。

 

考えない人は
すなわち
考えない人。なのである。

こどもの最大の利益とは何か①

考えれば考えるほど、わからなくなる。

 

『親の愛がこどもを縛り付けないこと』

 

親が良かれと思ってやることは

本当に良いことなのか。

 

私は、何を「良かれと思って」いる???

 

 

 

私は、

こどもはこどもらしく。

とは考えていない。

 

こどもは、一人の人間であるし、

「子どもらしく」と言っている地点で

それは子どもに対して何かを望んでいる。

 

息子は、

私よりも

はるかに人間ができている。

 

私よりも「おとならしい」

 

子どもを未完成なもの、

大人が人間の完成形だと思うと

こういう表現になる。

 

 

私が息子を叱るとき、

そのほとんどが、

「今の日本社会の常識」から

外れている時であることに

最近気がついた。

 

そんな常識、

飛行機に乗って、2時間で、

一気に崩れる常識のために

息子の一瞬をHAPPYでないものにしてしまっている。

 

そして、それをしない勇気も

私は持ち合わせていない。

 

舜明はいつだって

今を生きているし、優しい。

思いやりもある。

 

私の方が

はるかに人間らしく生きていない。

 

 

iPadを自在に操る息子を

昭和初期から変わっていないであろう

学校教育の現場に通わせることに対し、

 

私は不安をもっている。

 

変わる気はないのか。

変える気がないのか。

 

前に何かで見たけれど、

大学生のなりたい職業のトップが「銀行員」だったらしい。

 

「お金」の概念が変わり始めているこの時代に
(現金なんて、持ち歩かない事の方が普通になりゆく時代に)

 

すごく残念だった。

 

来年小学校に入学する息子が

大学を卒業するであろう年齢の22歳になるころに

「銀行員」は「安定の職業」だろうか???

 

それはないだろう。。。と思う私にとって

息子に公教育を受けさせることは

結構な苦痛を伴っている。

 

公教育は

「そういう」教育を息子にするのだ。

 

今日の今日まで

結構真剣に育ててきた。

 

「息子を思って」。

 

完璧じゃないことが多いけれど、

それでも、息子の「最大の幸せ」を考えて。

 

それでも、彼は

私が思うよりも自由で賢く、優しいので

私が考える「幸せ」よりも

「幸せ」を私に感じさせてくれる。

 

のびのびと自由に

好奇心と向上心をもって、

「今」を生きてくれている。

 

その彼に

「大量生産」の価値観を

植え付けられる苦しさがある。

 

「こどもはこどもらしく」

 

「言われたことをやっていれさえいればいい」

 

という世界に飛び込ませることに

とても苦痛を感じている。

 

舜明は、公教育に適応するだろう。

きっと疑いを持たず、楽しめる。

 

だけど、それを「もったいない」と思うことは

親のエゴだろうか?

 

 

「自分のお子さんに期待しすぎてない?」

「親のエゴだよ」

 

と言われたけれど、

 

息子の将来のHAPPYを考えることは

親のエゴだろうか?

 

孟母は三回、住居を引っ越しているけれど

それは「親のエゴ」だろうか?

 

舜明は、しっかり生きている。

彼に必要なのは、教育でもなく、矯正でもなく

「より良い、快適な環境」であると考えている。

 

のびのび、このままの感性で生きていけたら

そのままHAPPYに暮らせるのではないか、と思う。

 

彼に彼を「(今の言葉でいう)教育」が必要とは思えない。

良き見本である大人たち、友人たちが必要で

それを望みたいけれど、それは私のエゴなのか?

 

こどもの最大の利益とは、何だろう?

 

もう少し、熟考していきたいと思います。

誰が為???

「子どもは自分じゃないんだから」

 

わかってる。

 

わかってるけど

 

子離れできない母、ここにあり。

 

 

「ひとりの時間、何か、夢中になれるものとかないの?」

 

 

まず、ひとりの時間がない。

 

いつも、ふたり。

 

幼稚園と仕事、離れているけれど、

 

タイムカードをきった瞬間、

 

頭は「舜明の笑顔がみたい!!!」

「はやく逢いたい!!!」に変わっている。

 

でも、ホント、そうだよね。

 

舜明は、私じゃない。

 

 

まだ、6歳の子に

期待したり、ブチ切れたり

 

大人げない。

 

最近、ホントによく、ブチ切れてしまって

それでも舜明は私を責めなくて

 

どっちが大人なんだかわからない。

 

私のやりたいことと

舜明のやりたいことは違う。

 

そうなんだよね。

 

舜明の「ため」とかいいながら

それは本当に舜明の「ため」???

 

自信をもって、舜明のため!と言えることもあるけど

 

誰が為???

 

人の為と書いて、「偽」

 

うーん。

 

でも、自信をもって

舜明に「いいこと」しか

選んでない「つもり」なんだけどなぁ。

 

 

「舜明は有紀じゃない」

 

 

わかってる。すごく、突き刺さる。

 

 

「でも、大丈夫だと思ってるよ」

 

「大丈夫」

 

こんなにうれしい言葉があっただろうか。

 

私はきっと、「大丈夫だよ」と言われたかった。

 

ずっと不安で

ずっと不安で

 

ひとりで子育てすることに

限界を感じている。

 

でも。

 

こればっかりは、どうしようもなくて。

 

パパの分もママの分も

じーじの分もばーばの分も

 

私がひとりでしなきゃいけない。

それは私の舜明に対する責任。

 

「こどもは勝手に育つよ」

なんて

 

大嫌いな言葉だった。

 

男の人はみんな簡単にそう言うなぁ。って。

 

どれだけ毎日

舜明の「ため」と生きてきたか。

 

毎日毎日

読み聞かせをして、寝かしつけて

 

無農薬を選んで

県産のお肉選んで

テレビを捨てて

レンジを捨てて(オーブンはあるよ)

炊飯器捨てて(土鍋で炊いてるよ)

 

パズル買って

LaQ買って

なぞぺー買って

サッカー行って

囲碁行って(渋滞の浦添に突っ込んで)

琉大附属申し込んで

給料低いけど、休みの取りやすい仕事して

 

 

ぜーんぶぜーんぶ

 

誰が為?

 

舜明のため??

 

ホントに???

 

ホント??????

 

 

「人間だということ。

 有紀の悩みは悩みで良いと思う。

 そして、大丈夫だと思うよ。

 世の中に絶対、はないけれど

 あなたの考え方は、大丈夫だと思う。」

 

 

そっか。

そうなんだ。

 

私の悩みは、「悩み」でいいんだ。

 

舜明に申し訳なく思う必要もなくて

(謝るとこは、ちゃんと謝るけど)

 

私は「悩んで」「子育てしてる」

 

 

きっと、私、

「大丈夫だよ」って、言ってもらいたかった。

「それでいいんだよ。大丈夫」って。

 

 

 

「たまには

 ちょっと、息抜きも必要だと思う。

 それがお互い(舜明と有紀)のためでもあると思うよ」

 

 

息抜きを

考えてみたけれど

 

やりたいことは

舜明と一緒にいて、○○したい!とかばっかりで

 

「ひとり」で何か。が思いつかない。

だいぶ重症。

 

私はもし、一人でいる時間があったら

何がしたいんだろう。

 

ひとりでいる時間、、、。

 

、、、、。。。。。。

 

誰かと、何か、ではなく。

ひとりで何か。

 

写真もすっかり仕事になってしまった。

文章を書くことだって、仕事の割合が多い。

デザインも、、、。仕事。

 

違う違う。

期限のない、何か、夢中になれるもの、、、

したいこと、、、。

 

ひとりで、、、仕事以外で、、、舜明と以外で、、、

 

思いつかない。。。

 

あ!!!

 

東京行って、雑貨とか洋服とか買いたい!

デパ地下行きたい!(すいてる時間帯に)

デザイン展行って回りたい!学会行きたい!

ヨーロッパ行きたい!

 

・・・・・・すぐにできないことばかり。。。

 

断捨離かなぁ。

断捨離したい。

部屋を片付けたい!

良い感じに食事つくりたい!

 

・・・これは、、家事?

 

やりたいこと、、、すきなこと、、、

 

んーん・・・んーん。

 

 

 

(T-T)

 

 

まずは、私が私のご機嫌をとらなきゃ。

私が、私を、笑顔にする。

 

その方法もわからないで、

誰を笑顔にできるっていうのさ!

 

まずは私を笑顔にしてあげよう。

 

舜明は「大丈夫」

ヤバイのは「私」!!!

看護学生でママの人をサポートしたい

沖縄でしか無理だけど、

看護学生でママもやってる人のサポートができたらなぁ。

といつも思っている。

 

理由は簡単。

 

私自身が

「誰かぁあぁぁぁあ助けてぇぇぇぇえええ」

だったから。

 

具体的には

何をどうしたいっていうのは

人それぞれだと思うんだけど

 

たまには子ども達のごはんを気にしないでおきたい

とか

誰かに話を聞いて欲しい。。。

とか

勉強がどうしてもついていけない

とか

 

 

家族みんなで乗り越えてる人は

大丈夫かもかもだけど

 

もしかしたら私みたいに

一人で子育てをしながら

頑張っている人もいるかもしれない。

 

言葉を覚え立ての息子を

ボイスレコーダー代わりに

いろいろ覚えたのがなつかしい。

 

思い出そうとしても

思い出せないくらい苦しい日もあったなぁ。。。

 

実習、、、キツかったなぁ。。。

理不尽なレポート、、、ホントにイヤだったなぁ。。。

 

誰か助けて、、、

眠りたい、、、

 

っていう日があったなぁ。。。

 

周りに昔の私のような人がいる方、

どうぞ私と学生さんを繋げてください。

 

 

何にもできないかもしれないけど、

何かできるかもしれない。

 

今の私だったら、

サポートできること、あるかもしれない。

 

資格がとれれば、きっと道は開けるけど

学生の間は、本当に苦しいと思う。。。

 

ママ学生に限らず。

 

看護学生で

「ツライよぉおお」

と思ってる人がいたら

 

今の私なら

サポートできるかもしれない。

 

何もできないかもしれないけど

何か、できるかもしれない。

言葉選び

色んな言葉が浮かんでは消え

 

どれくらい時間がたっただろう。

 

かっこつけずに

正直に言ったら

 

なんかちょっと、元気がでてきた。

 

正直な気持ちを正直に言っただけなのに

 

色々考えて言わなかった時よりも

 

だいぶ、心がHAPPYになった。

 

 

いつもいつも

かっこつけてさ

 

かっこつけて

色々考えて

 

それでも

やっぱり

 

素直な気持ちにはかなわない。

 

 

好きな人に好きと伝えたなら

大切な人に大切だと伝えることができたなら

 

それだけで

 

私は もうちょっと 頑張れる気がする。

正直に生きよう。

何か最近、色々考えすぎていたのかもしれない。

私の幸せは私が決めるし、

私の時間は私の命であることを

少し、忘れていたのかもしれない。

 

なんか利用されているような

 

がんばってもがんばっても

嘘の笑顔をしていた気がする。

 

本当にやりたいことに近いんだけれども、

いつの間にか、利用されていた。

 

ちゃんと自分をもたないと

あっ!という間に利用されてしまう。

 

それが「利用されている」のか

はたまた私がただバカなだけなのか。

 

断るのが苦手だし

それもとうにわかっているし

 

であれば

 

学習し、修正していく必要があるわけで。

 

私にとっての幸せとはなにか。

私は今、何がしたいのか。

何が大切なのか。

 

忙しいと何にも見えなくなってくる。

どんどんどんどん

やることが増えて

やってるふりもうまくなって

疲れると真剣でもなくなってしまって。

 

そうならないように

お休みの間に

 

きちんと自分と向き合おう。

整理整頓、断捨離しよう。

 

優先順位を洗い直して、

来月からのスタートに備えよう。

 

 

本日のアフターナイン

ヤバイ。助けて。
舜明の好奇心が止まらない件。
ママお手上げしそう。。。

 

なるだけ息子の疑問には答えているつもり。
一緒に色々調べたりもする。

 

【本日のアフターナイン】

舜明「ねぇママー。宇宙には日本人だけがいるでしょうか?
   アメリカ人もいるでしょうか?」
私 「え?何よ急に。前に動画見たさー。ロシア人もいたでしょう?」
舜明「動画見た!浮いてたやつ!もっかいみたい!!」
私 「えー?一回だけだよ?」

 

iPadにて、動画試聴。https://youtu.be/hvl1MW7IL2g

 

舜明「ねー、ママー。うんことかはどうするんだろうね?」
私 「ね。ママも思った。」

 

Yahoo!にて「宇宙飛行士 うんこ」検索。
http://kaikore.blogspot.jp/2017/03/space-poop.html

 

私 「やばいね。うんこ超大変。」
舜明「ママー、なんで宇宙では浮くの?」

私 「・・・地球に重力があるから、、、、」
舜明「じゅーりょくって?」
私 「こんなーして寝れてるのも、舜明がジャンプしてもちゃんと落ちてくるのも地球の真ん中にひっぱられているからだわけ。見えないチカラでひっぱられているの。その見えないチカラのことを重力って言う。」
舜明「ああ。だから、しゅんめいは浮かないわけ。」
私 「そう」
舜明「ママーじゃあさ、なんでヘリウム(風船)は浮くの?」
私 「・・・」
舜明「ヘリウムの風船はさ、空気より軽いから浮くって言っていたでしょ?ヘリウムは重力でひっぱられないの?」

私 「・・・」

舜明「ヘリウムも風船だし、見えないじゅうりょくでひっぱられそうなのに、ヘリウムは浮いてしまうのはなぜ?」

私 「ね。。。」てへ。

 

重力、引力、浮力、、、分子の大きさの説明を
数分で6歳の子に説明できる気力も体力も実力も
今日の母にはありません。
おやすみなさい。